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ご挨拶

生まれ育った北摂の地で開業できることを大変うれしく思います。私自身もアトピー、肌荒れ、ニキビと悩みました。アトピー体質とアレルギー体質は変りませんが、上手に自分の肌と付き合う方法を学びました。

形成外科は皮膚の外科で、いぼの除去手術から、再建手術まで幅広く診ます。また形成外科の延長で美容外科も学びました。

形成外科医は傷と傷跡のスペシャリストです。傷と傷跡の治療も大学病院で学び治療にあたってきました。傷と傷跡にお困りの方は、是非ご相談ください。

また、当院は逆さまつげ、眼瞼下垂の治療にも力を入れております。なぜなら、私自身も幼少時より逆さまつげ、30代で眼瞼下垂も発症し、手術を経験しているからです。その時勤務していた北里研究所病院が眼瞼下垂の治療に力を入れていて、そこで多くのことを学びました。手術中の不安や、術後のダウンタイムも経験しているからこそ、悩まれている方に共感することが出来ます。

お肌に悩みがあると、前向きにもなれないことも、私自身が悩み続けたので、よくわかります。また、最近は肌の老化の悩みも出てきていますが、綺麗に歳を重ねることを目指しています。皆様の肌のお悩みに寄り添いつつ、治療が出来たらと存じます。地域の皆様のお肌を綺麗にするべく、努めたいと存じます。よろしくお願い致します。

院長 谷川 知子

経歴

形成外科専門医 
美容外科専門医 
抗加齢医学会専門医 
医学博士
藤白台小学校校医

 

1974年生まれ 寅年生まれ

幼稚園

せんりひじり幼稚園。幼少時からアトピーに悩む。集団生活になじめず、幼稚園に行きたがらなかったため、親から苦労したと聞いています。

小学校から中学2年生まで

箕面にある聖母被昇天学院(現 アサンプション国際)

中学3年生

医学部受験を目指すため高校受験をするべく、自分を追い込むために豊中市立第八中学校に転校し、1年間死ぬほど勉強しました。

高校

四天王寺高校。父の母校である北野高校を目指しましたが、内申点が足りず。私立受験をしましたが、一歩及ばず英数コースには入れず、高校2年生からの選抜のS理コースに合格するものの、その後勉強が手に付かず3浪。

大学

東京女子医科大学入学。女子だけの医学部、唯一無二の伝統ある学校に入ることが出来て、良かったです。小さいころから日本女子で初めて医師になったと言われるシーボルトの娘の小説が大好きで、女子が医師になるのが難しい時代に女子医科大学を創設し、その後も時代の背景に負けず、女子医大を貫いている母校の思いが大好きです。大学時代は学生生活を満喫しすぎて、医師国家試験の最終模試が全国で下から数えた方が早い順位を出しましたが、その後3か月円形脱毛症が出来るほど勉強し、無事に医師国家試験合格しました。

東京女子医科大学第二病院 形成外科に入局

4ヶ月間は東京女子医科大学第二病院救命救急ローテーション。何科を選択するかで最後まで悩みましたが、事故で指が取れた人の再建手術や皮膚癌で皮膚の一部、顔の一部を失った人の再建手術、やけどで失った皮膚の移植手術を目の当たりにして、形成外科入局を決めました。医局方針に合わず1年で転局

北里大学 形成外科・美容外科 入局

1ヵ月形成外科研修後、麻酔科3カ月ローテーション

佐久総合病院 出向

形成外科4ヶ月 整形外科6ヶ月 外科1年ローテーション、外科があまりに過酷で過労により倒れ、最後の2週間は佐久総合病院に入院。

横浜南共済病院 形成外科 出向 1年

少し休息できました。

北里大学 形成外科・美容外科

研修医の指導、スタッフの下で病棟管理のすべて、手術のほとんどを担当するという最も過酷なレジデントのチーフを務めました。その間4ヶ月救命救急にも出向し、そこでも救命救急形成外科斑のチーフも務めました。あまりに仕事が過酷で、人生最大の肌荒れを経験しました。顔はニキビだらけ、身体はアトピーも含め湿疹だらけになりました。湿疹が足首を超えたら、仕事を辞めようと1日4時間睡眠で2年ほど頑張りました。幸い湿疹は足首を超えず、無事にお勤めを果たすことが出来ました。

北里研究所病院 美容医療センター派遣

美容の話をしなければいけないのに、肌がボロボロで説得力がなくて悩みましたが、その時の上司が、今自分も治療をしているところだと患者さんに話せばいいと言って頂き、少し前向きになれました。また、30代で発症した眼瞼下垂の手術も北里研究所病院で受けました。外来診療を休むことが出来ず、手術翌日も目を腫らしながら、外来をしたことも、今は良い思い出となっています。北里研究所病院は眼瞼下垂の手術が当時有名で、たくさんの患者さんが目の手術を受けに来られていていました。外来患者さん向けに眼瞼下垂のセミナーを行ったり、手術執刀の経験も積ませて頂きました。当時、現在の夫となる人に出会い、浮かれて形成外科専門医試験落ちました。ニキビが治らないまま、結婚式となり、当時の写真は厚化粧で隠すものの、アップ写真では隠し切れませんでした。北里研究所病院で、睡眠も十分にとることができたおかげで、2年かけて肌の状態はましになりました。2回目の専門医試験は無事に合格出来ました。

大阪大学形成外科医局に結婚を機に転局

夫が大阪の人だったので。1年病棟医として働きました。

大阪大学形成外科 大学院入学

4年の研究生活の間、子供を2人出産。
医学博士取得

大阪大学 形成外科 助教

大学院からフルタイム医師に復帰して、幼い子供2人抱えての病棟勤務に限界を感じました。

大阪市内 美容外科美容皮膚科クリニック 院長

形成外科の再建手術は夜中から始まることも多く、夜中に病院に呼ばれることもしばしばあります。医師になってから、大学院に入学するまで、夜もいつ病院から呼ばれるかわからないため、常に携帯を枕元に置いて寝ていました。子育てしながらの病院勤務に限界を感じ、市内の美容皮膚科美容外科クリニック院長をお引き受けいたしました。

約8年院長として勤めましたが、生まれ育った北摂で地域の方の肌のトラブルに、今まで勉強してきた知識と技術で貢献したくて、北千里で開業することを決意致しました。

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